アジュラクプールに住む、ジャットコミュニティの人々と過ごした日のことを、忘れないうちに書き留めておきます。

朝5時45分発の始発バスに乗り、アジュラクプールへ向かいました。明朝のアジュラクプールは、ブージよりも少し肌寒く、星がとても綺麗。こんなに早い時間にアジュラクプールに来るのは、もしかしたら初めてかもしれない。ところどころ電灯がついていて有難かった。

いつものごとく、スフィヤンの家で自転車をピックアップしようとしたら、玄関の鍵が閉まっていて取り出せず。前日の夜に連絡はしていたものの、既読がついていなかったので、もしかしたらとは思っていました。仕方がないので、コミュニティまで歩いて向かうことに。ジャットコミュニティは工房までの道のりに住んでいます。

いつもは自転車でサッと通りすぎる道のりが、暗さと徒歩が相まって、違う場所のように感じました。そして寒い。サンダルで来てしまい、足先が冷たい。歩き進めるにつれ電灯も無くなり、スマートフォンのライトを頼りに進みました。
7時頃、コミュニティに到着。スフィヤンの工房で働いているジャットコミュニティの男性の家族と過ごす予定でしたが、その男性の名前を知らないことに、ここで初めて気づきました。ちゃんと話は通っているのだろうかと、一瞬不安になりますが、寒さでそれどころではない。火が焚かれている家に近づきました。

火の前まで行くと、料理をしている男女がいました。突然現れた私に驚いていましたが、シーペト(寒い)と伝えると、火の前に座らせてくれました。スフィヤンの工房で働いている人は誰かと尋ねると、バローチと返ってきました。まだ寝ているとのこと。温かいチャイも出してくれる。

女性はロティを焼き、男性は山羊のミルクを温めている。ロティを作る作業は、想像していた以上に時間がかかる。

日が昇り、バローチさんが起きてきました。今日一日、村で過ごしたいことを家族に説明してくれ、別の家にも連れて行ってくれます。そこでもチャイをご馳走になりました。どの家も朝早くから料理をしています。バローチさんの祖父は有名な楽器奏者で、ドイツで演奏したこともあるそうです。

そこからは、水を汲みに行ったり、子供たちはロティ作りの真似ごとを始めたり。

10時頃、山羊の放牧へ出発しました。群れを連れて、明朝に歩いた道を戻り、アジュラクプールの中心を抜け、LLDCの横を通ってジャングルへ入ります。前々から不思議でしたが、少人数でこれだけの数の山羊を統制できている。山羊たちも草を食べたり、少し寄り道をしたりしながら、自然と集団を保っています。

11時頃、ジャングルの中で休憩。朝の寒さが嘘のように暑い。この時期でさえ少しきついのに、猛暑の時期はどうしているのだろう。

この日は、小学校の先生に教室へ来るよう呼ばれていたため、私はここで一度離脱。小学校に到着すると、制服を着て学業に励む子供たちの姿があります。同じ村に住んでいるのに、まるで別の世界。日本からやって来た身としては、共存していることが不思議に感じられます。ここに来るまでのことを先生と話していたら、今、彼らは時代の流れに翻弄されて、経済的に辛い状況なのだと教えてくれました。

13時30分頃、再びジャットコミュニティへ戻りました。道なき道を整備しているのか、女性が斧で植物を刈り、子供たちは相変わらず遊び続けています。2ヶ月前に生まれた赤ちゃんもいて、その世話に追われている女性もいました。

首元の日焼けが火傷のように熱く、体も少し熱っぽい。このまま長くいるのは、体力的に少し危なそうだなと感じ、頃合いを見て帰ることに。挨拶をして回ると、昼ごはんを食べていけ、今日は魚だぞ、とお誘いいただきました。みんなで食べるのかと思いきや、私1人分だけが出てきて、他の人たちは別室へ。こうした距離感にも、少しずつ慣れてきました。魚のカレーはかなり辛く、私は割と辛さには慣れている方ですが、それでも甘いチャイが飲みたくなるほど。子供たちも、これを食べてるんだなぁ。

各家を回って挨拶をし、村を出て、ブージの宿に戻りました。身体の熱がなかなか引かない。まるで違う時代から戻ってきたよう。少し仮眠を取ろうとしたら、結局そのまま夜中まで寝てました。
翌日になっても疲れが抜けないまま、今度は工房での制作のため、再びアジュラクプールへ。昨日歩いた道を自転車で走りながら、昨日の出来事がまるで幻のように思えました。あまりにも違う時間の流れ方。でも、工房までの道のりに佇むコミュニティの横を通ると、子どもたちが遠くから手を振ってくれました。
慣れるまで通い続けようか?それとも、この違和感を、そういうものとしてそのままにしておくのが良いのか。奇跡みたいだなと思いました。
