SIDR craftのジャバールさん宅でお昼ご飯をご馳走になった際、2001年にカッチで起きた大地震後のブージと、アジュラクプールの成り立ちの話をお聞きしました。その備忘録記事になります。
まずブージですが、2001年の大地震後、街をあえて復興せずに歴史記念地区としてそのまま保存して、住民を『新ブージ』に移住させるという案が、政府により持ち上がりました。
しかし、政府が本当にそんなことを実現出来るのか、不安に思った住民が大反対。結局ブージを復興する道に進みました。住民は一時的にブージ郊外に避難し、人によっては元の家があった場所に戻れるまで数年かかったそうです。
もともと狭い道しか無かったブージの交通網に、2車線以上の道路も作り、今のブージの街並みになりました。
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アジュラックを染めているダマルカでは、大地震で水質が変わり、アジュラックを染める9代目のドクター・イスマイル・カトリさんが、より良い水を求めて、アジュラクプールという新しい村を作ることを提案しました。
村を作るために農地を購入する際、とても大きなお金が必要だったため、ダマルカのアジュラック職人はもちろん、ブージや近隣の村からも移住する人々を集いました。昔はアジュラックをやっていたけれど、その時点で違う仕事をしていた方々に移住してもらい、再度アジュラックの知識を授けたりしていたようです。
実は、ジャバールさんも移住する権利を購入したようですが、しかしながら何処の区画か把握してないとのことで。割と良い立地らしいと言っていました。(笑)
実はというか、私が知らなかっただけですが、9代目のイスマイルさんは農地を購入する権利のある血筋で、その権利を10代目のスフィヤンに相続することが出来るのだそう。仮に、ジャバールさんがイスマイルさんの養子になったとしても、血筋が違うので農地の購入は不可能なんだとか。