西アフリカのマリからカッチに訪れた、藍染師のAboubakar さん(以下アボさん)と過ごした一日が、とても長くて濃い時間だったので、忘れないうちに記録しておきます。

寝不足のまま朝6時にリキシャ飛び乗り、アボさんが宿泊するブジョディのホテルへ。リキシャのおじちゃんがチャイを飲みたそうだったので、道中チャイをご馳走していたにも関わらず、予定の30分前に着いてしまった。久しぶりにジャケットを羽織った肌寒い朝。

アボさんと合流し、織り師のシャムジさんの車で、まずはラバリコミュニティの村へ向かいました。車から見た朝日が眩しい。

訪れた場所は、とても素朴な村でした。地面に掘った穴で火を焚き、朝食の用意をするラバリのご夫婦の姿が、あまりにも現代社会の喧騒からかけ離れていて、静かに心を動かされました。振る舞ってくれた焼きたてのチャパティがとても美味しかった。

この村に長年通い続けているシャムジさんの話によると、2001年のカッチ震源の大地震のあと、現首相のモディさんがカッチを支援したことで開発が進み、かつては移動生活をしていた彼らも、今は政府主導のもと、住宅を建てて定住しているようです。

それまでの伝統的な生活が途絶えることに、悲観のトーンで語るシャムジさんの横で、水がすぐ飲めるようになったことや、生活が便利になってとても良かった、モディさんのおかげだ!と語る村の男性が印象的でした。以前は2キロ先まで水を汲みに行っていたのだとか。

山羊の飼い方も変わりました。以前は広い土地で放牧しながら飼っていましたが、現在は長い時間、狭い囲いに集めて飼っているので、糞が毛についてしまい、毛が短いうちに刈ってしまいます。つまり糸にしづらい。

ご年配の男性こそラバリジャケットを着ていましたが、ほとんどの男性は洋服。女性は割とラバリの衣服を着ている様子でしたが、それでも現時点で25〜30歳の方が最後の年代となりそうな雰囲気でした。

かつてはラクダが主な移動手段だったこともあり、この村の住人は沢山飼育していて、裕福な家庭も多かったらしいのですが、自動車の普及とともに衰退したそうです。

こんな感じで、シャムジさんを通して聞いた村の説明は、割と悲観的なものばかりでしたが、初めて訪れた身としては、のどかな村だなぁという印象でした。1人ひとりに挨拶しながら、ラバリの村をあとにして、お次はアヒールの村へ。

かつて、アヒールコミュニティの男性が着用していた手縫いの特徴的なジャケットを着る方は、すでに村に2人しかいないそうで、幸運にも、その2人に会えました。村のほとんどの男性は、ミシンで縫われたシンプルなシャツを着ています。

かつては女性が手縫いで制作していましたが、既製品の服が広がり、いつしか作れる女性が激減していたそうです。多くの研究者がラバリコミュニティに関してリサーチを重ねてきたのに比べて、アヒールコミュニティには、あまり研究者が入らなかったらしく、資料も少ないのだとか。なぜそんな差が出来てしまったのだろう。この村も世代によって、着る服がハッキリ分かれていました。

アボさんのホテルに戻り、朝食をご一緒させて頂きました。フルーツがたっぷりでうれしい。そしてスフィヤンも合流。スフィヤンとアボさんは、サンタフェでの展示会以来、久々の再会。

私はこの日、Shrujanでの仕事があったので、もともとここでお別れする予定でしたが、同行の誘いを断りきれず、一緒にアジュラクプールに行くことへ。朝ごはんを終え、睡魔が追い討ちをかける。

スフィヤンの第1工房に到着し、アジュラックの説明が始まります。アボさんは、それまでの落ち着いた雰囲気が一変して、とても興奮しているように見えました。染色に詳しい人が、初めてアジュラックの説明を受けたら、こういう反応になるのは分かる気がする。レシピや材料の購入場所まで聞いていたので、きっと自分で再現する気なのでしょう。

そのあと実際にプリントも体験されてました。知識として学ぶのと、手を動かして体験するのは、また違う緊張と面白さがある。私はついに睡魔が限界を迎え、スフィヤンの車で少し眠らせてもらうことに。日差しが当たる車内で、これ温度大丈夫か?と頭をよぎるも、一瞬で寝落ちしてました。

ノックの音で目覚め、どうやらプリントが終わったらしい。スフィヤンの家に向かい、昼ごはんをごちそうになる。眠い。アボさんは、私よりずっと身長が高いのに、食べる量がほぼ同じで、なんだか親近感が沸きました。

午後は村の小学校のセレモニーへ。スフィヤンが娘さんに何度も出席を頼まれていたらしく、流れで私たちも参加しました。急遽、田中直染料店さんの「ナチュラルブロックプリントキット」の寄付も、プログラムに組み込んでくれることに。

よく分からないまま、アボさんと一緒に最前列の席に通されます。ただ、眠気が限界で座っていると危なかったので、撮影を口実に歩き回ってました。寄付も無事に終え、回らない頭でなんとかスピーチ。今年も還元金を届けられて良かった。

私たちは途中で退席して、そのまま第二工房へ向かいました。ここまできたら Shrujan に行くことは諦めて、学べることをすべて吸収して帰ろうという気持ちに切り替わる。

アボさんは、工房に強く興味を持ち、スフィヤンに質問責め。その問いに対するスフィヤンの話を聞くだけで、とても学び多き時間でした。アボさんがスフィヤンへの尊敬をどんどん深めていくのが、よく伝わってきました。

工房では毎年100本以上のフルーツと染色用の植物を植えていますが、今後は野菜も植えてゆく予定。生活に必要な全てを、村で作りたいというスフィヤンの夢が、着実に前に進んでいます。

工房から見る夕日がきれいで、この日の朝に、村へ向かう車内で朝日を見たことが、遠い遠い昔のことのように思えるほど、長くて濃い一日でした。

大きな夢と高い志を持つ職人さん同士が、互いに尊敬し合い、知識を惜しみなく共有している場に、幸運にも居合わせることができて、本当に嬉しく、強く心を動かされる1日でした。